デザインの意味。

イベント仕掛けたり、マーケティングやらブランディングやらイベントやらの進行形なコトしたり、クライアントとブリーフィングしたりも、それなりには楽しい。自分にしか出来ない事やってるっていう優越感だったり自信だったり責任感だったり不安だったり、そういったモノも確かに実感する。
でも、実際に『つくる』段階がやっぱり一番。

ここ1〜2年、よく

『お前くらいになったら、もう自分で作業に手つけてちゃダメなんだよ』

と説教される事も少なくない。先日も取引先の人間に笑い混じりに言われてしまった。
もちろん僕だって肉球がすり減るくらい制作を一から十まで全部一人でやってるわけじゃない。でもやっぱり自分としては『制作についてはディレクションのみ』に徹しなきゃいけないってのはちょっと淋しい。


『デザイン』って言葉。

これって、正しくは何を指す言葉なのでしょう。

普通の人なら、絵を描くコトやその延長線にあるものを想像するはず。平たく言えば学校の美術でやるコト、みたいな感覚。
でも、本来デザインって言葉の意味はもっと幅広くて奥深い。

デザインの本来の意味は『つくる』という言葉に近い。
もちろん、一言で『つくる』って言っても、作る・造る・創るなど、とってもたくさんの意味を持ってる。例えば、

  • 『この戦闘機はレーダーに映らないようデザインされている』

この「デザイン」は何も外面の造形だけを指しているわけじゃなくて、例えば塗料の種類だったり、エンジンから吹き出す熱風の導線だったり、前方からの光を乱反射して跳ね返らないようにする曲面の構成とその角度だったり、色々な要素が複合されて完成されたその機体そのもの、総てを指す言葉。
そこに必要なのは学校で言うと美術だけじゃなくて、化学だったり物理だったり数学だったり歴史だったり政治だったり経済だったり法律だったりもする。

これは何をつくる時でもおんなじ。Webだってターゲットユーザーの心理(学)や作業導線やPC環境や嗜好、クライアントの予算やサーバ環境やスキル、世の中の景気の動向や今のトレンド、年代特有の言い回しや口調、ターゲットユーザーに伝えたい事を的確に言い表す国語力、他にもたくさんの要素が集まって、最終的に形になってクライアントに納品したモノが
『デザインしたモノ』
なわけです。
でも日本では、どうしたってデザイナーとかクリエイターってのは絵を描く人みたいに思われてしまう。
確かに絵を描くコトはデザインの一部なのは間違いない。でも、この要素は「デザイン」の要素の一つに過ぎなかったりする。
美大出身者なのにデザイナーとしてはダメダメ、なんて言われる人も少なくないけど、それってだいたいこの意味が分かってない人。全く描けないってのは少々問題だけど、上手であればor個性があれば他には何もいらない的なスキルじゃ決してない、ってコトです。


『わがままクリエイター』。

僕もそうだけど、商品企画からイベントの仕掛け、マーケティングブランディング、紙も立体も服もWebも全てのデザイン、音楽や動画なんかも、みんな一人でやっちゃうってクリエイターが最近は増えてきつつある。
ちなみにイベントもキャンペーンも紙も立体も服もWebも「つくる」って事には何にも変わりがないんだから、やりたいと思うか、やろうと動くか、それだけの差だと思う。そりゃ苦労も努力の量もその分だけ増えるけど、得るモノはそれ以上だし。
どれも中途半端な『器用貧乏』なクリエイターにだけはならないよう気をつけなきゃいけないけど、出来るかどうかは気持ち次第だよ。